水上城跡の秋 水彩 F6 2010
9月18日、好天の秋空のもと仲間8人で旧東海道水口宿の街道歩きをしました。現代版 東海道五十三次 水口宿絵地図を片手に約5kmばかり。水口城跡を過ぎて、すぐ、広重の浮世絵に出遭い、街道蔵で濁り酒の試飲。百軒長屋跡や交流会館へ。会館では、幸運にも河内町の曳山を紹介いただきました。城下町である水口宿の街道歩きを満喫、水口神社にお礼をして、水口城南駅へ向かいました。
貴生川駅ー水口城南駅ー水口城跡ー広重の浮世絵ー西見付ー街道蔵 美富久酒蔵ー妙沾寺ー五十鈴神社ー百軒長屋跡ー水口石ー天神町ー北町ー交流会館ー河内町ー石橋ー水口神社ー水口城南駅
水口の干瓢干し女(め)の仕草かな 惟之
街道の吊り灯籠や秋高し
京口と呼ばれし見つけ秋日和
漢の酒ひと口含みほろとなり(無季)
百日紅あかあか咲きて妙沾寺
いぬわしの高き神木つくつくし
歩が止まる槇の木の実はぽつぽつと
行き交ひの人に会わずも秋桜
古城山遠くに聳え秋日和
郭内を確と監する与力窓(無季)
街道に碁会所ありて忍草
曳山の祭囃子に話の弾む
大車輪祭囃子にゆるぎなし
花の名を忘れてをりぬ百日草
十年の歳月流れ秋の城
貴生川駅で近江鉄道に乗り換えの時間待ち。
水口城南駅で下車
水口城跡。1585年、徳川家光が上洛の際の宿城として築城された。別名「碧水城」。2010年に写生会で描いた懐かしい城でもある。
歌川広重の東海道五十三次の一枚。この作品は、干瓢を剥き、干している風景。街道沿いに50号くらいの大きさで掛けられていた。干瓢は水口の特産になっている。
西見付跡案内。水口宿の西の端に設けられたので「京口」と呼ばれた。
美富久酒造。東海道五十三次・五十番目の宿場町として活躍した水口宿の老舗酒蔵。
店内では、濁り酒を試飲。とろりと辛口の漢の酒。一口で胃が熱くなった。
百日紅が咲いていた妙沾寺(みょうてんじ)。めずらしい屋根の形をしている。沾(てん)の字はうるおす、ぬらすなどの意味がある(新漢語林より)。
一里塚跡
五十鈴神社鳥居
木の実を沢山つけた槇の木。思わずパチリと歩み寄る。
百軒長屋には、下級武士が隣りあって住んでいた。高窓からは「与力窓」といって藩邸を防御する役目を担っていたらしい。
百軒長屋近郊
水口石 (力石)。江戸時代から知られた大石で、浮世絵絵師の錦絵にも描かれた由来の石。
街道沿いに「曳山のあるまち」として吊り灯籠のが掲げられている。夜道を歩いてみたい。
東小坂町の長い軒下がつづく。百軒長屋の面影を偲ばせてくれる。
東小坂町界隈 水口岡山城跡の古城山を前方に望む。水口岡山城は、天正13年(1585)築城された豊臣政権の要の城。関ケ原の戦いの後、廃城となる。
碁苦楽快館(碁会所)
天神町の民家と路地
天神町曳山蔵
街道に咲くコスモス
水口交流会館
河内町曳山蔵
河内町の曳山。全幅3.04m、全長4.60m、全高5.40m、車径1.38
河内町の曳山の車輪(車径1.38m)
蔵内の大カボチャ。注連縄をつけて威勢がいい。
水口曳山の全16基。3基が5年ごとに曳かれる。水口曳山祭は4月19日(宵宮祭)、4月20日(例大祭)。
からくり時計
水口石橋駅近くの踏切
百日草
水口神社拝殿を望む。
水口城南駅ホーム
貴生川駅