慈眼寺(穂柱観音)
梅雨晴れの半日、仲間8人で中山道守山宿の散策を楽しみました。コースは「中山道守山宿ぶらりマップ」を参照に街道歩きのベテラン Iさんに案内いただきました。慈眼寺では秘仏の帆柱観音と薬師三尊をゆっくり拝見することができ、講話をうかがう幸運に恵まれました。ほたる通りで駅への帰り道にほたる地蔵に巡り会えました。夜ならきっと蛍が飛び交っていたことと思いながらーーー。 一の橋二の橋ほたるふぶきけり 黒田杏子
JR守山駅ー勝部神社ー十王寺ー一里塚ー本像寺ー土橋ー東門院ー本陣跡ー町屋うの屋ー慈眼寺ーほたる地蔵ーJR守山駅
街道へ鎮守の杜や椎の花 惟之
息災を祈り茅の輪を二度三度
七夕の陶絵踏みゐて焔魔堂へ
死者裁く閻魔大王十王寺(無季)
一里塚の榎高々梅雨青し
ひな菊を水辺に挿せば石仏
今宿のハイビスカスの白きかな
元総理の生家うの屋や梅雨じめり
慈眼寺の帆柱観音濃紫陽花
ほたる地蔵へ流れ の きらら蛉生る
三蜜をついつい忘れビール酌む
鎮守の杜(勝部神社)
勝部神社本殿に向く茅の輪(勝部町)
街道へ鱗のきらら鯉幟
天の川を挟んで会う牽牛と織姫の陶板絵
閻魔像が祀られている十王寺へ(焔魔堂町)
小野妹子の子孫、小野篁(おののたかむら)作と伝わる閻魔像が安置されている十王寺堂
死者裁く十王像 上段左の閻魔王は五十七日を受け持つ
中山道の 焔魔堂町の交差点 一里塚220m、本像寺630m、東門院860
今里の一里塚 江戸から約127里 二代目の榎
日蓮宗の古刹 本像寺
雛菊と石仏(メンバーの一人が駆け寄った)
軒下の影が限りなくつづく
樹下神社
樹下神社の常夜灯 天保二年(1831年)建立
東門院(比叡山東門院守山寺)江戸時代に朝鮮通信使の宿にもなった
東門院本堂
中山道道標(右中山道 美濃路 左錦織寺 このはまみち)1744年建立
本陣跡 左は井戸跡 本陣には皇女和宮はじめ数々の歴史上の人物が宿泊
中山道の由来(天満宮前)
煎茶屋かたかたや
町屋うの屋(元内閣総理大臣に就任した宇野宗佑の生家)
町屋うの屋の中庭へ小休止
帆柱観音(慈眼寺)の由来 本尊の穂柱観音は、最澄が中国で修行後、帰国途中海難に遭遇、沈没寸前に観音様に導かれ無事帰国した後、折れた帆柱に観音様を刻み安置したと伝えられる
慈眼寺入口
ほたる地蔵(金森川)
ほたる通り商店街の電柱にとまる大ほたる