崇福寺跡塔心の礎石
昨年12月に訪れた大津宮関連史跡の崇福寺跡をふたたび訪門しました。崇福寺は天智天皇が発願した滋賀県滋賀里の山中にある古代寺院跡(668年建立)。谷川で分かれた三つの尾根にある寺跡の礎石には1400年の時空を経て感慨深いものがある。崇福寺跡からは、南滋賀ランプ近くの榛の木遺跡、大伴黒主神社、福王子神社をめぐり、南滋賀町廃寺から近江神宮詣で帰りました。写真はK氏提供
京阪石山寺駅ー滋賀里駅ー北向地蔵ー百穴古墳ー志賀の大仏ー南尾根(金堂跡)-中尾根(塔址)-北尾根(弥勒堂跡)ー南滋賀里ランプー榛の木遺跡ー大伴黒主神社ー南滋賀町廃寺ー近江神宮ー神宮前駅ー京阪石山駅
春日挿す赤き前掛け北向地蔵
みほとけの横顔うるわし春うらら
三尾根に古代遺跡や木の芽吹く
塔心に腰掛け昼餉山笑う
塔址の礎石おほきや松の芯
金仙という名のしずく春の滝
京阪石山寺駅に集合(9:00)
滋賀里駅よりびわ湖を背に崇福寺跡を目指す
日本の茶栽培の発祥地の史跡ガイド 嵯峨天皇の唐崎行幸の折、献茶。
日本では唯一と云われる北向地蔵尊
渡来人の古墳群のある百穴古墳へ
古墳群の外観
古墳中より
志賀の大仏の御堂
志賀の大仏(弥勒菩薩)
志賀の大仏の横顏
金堂跡塔址へ
南尾根の金堂跡へ
梵釈寺金堂跡
梵釈寺の金堂跡をみる
中尾根の塔址へ
中尾根の塔心礎。地下1.2mに位置する塔心礎の側面に舎利容器が発見された(1938年)。金製・銀製・金銅製の三重の箱に入っていた容器(瑠璃壺)には紫水晶、ガラス玉などが納められていた。崇福寺は大津宮の廃都後、焼失と再建を繰り返しながら、室町時代頃まで存続していたとみられています。
北尾根の弥勒堂跡
金仙滝へ
大伴黒主神社と謡曲の立札
大伴黒主神社